海老名芸術プロジェクト海老名芸術プロジェクト
芸術活動を通し地域の文化向上につとめ、社会的課題を問いかける非営利の市民団体

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主な作品

珠玉の作品の数々 東洋と西洋との融合  演劇と音楽との和合
日本の舞台の様式美を生かした世界 知られざる満州の孤児達の生き方
オペラと朗読とダンスの3つの世界を融合させた新しい芸術
海老名芸術プロジェクト企画・甘利真美の作品をご覧下さい。

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創作モノオペラ『尼の泣き水
創作モノオペラ
ソプラノリサイタル『モンゴルの大地よ』
ソプラノリサイタル
朗読と歌でつづる小さな命のものがたり『満州の星くずと散った子供たち』
歌と朗読でつづる小さな命のものがたり
<朗読と歌でつづる小さな命の物語>『約束』
歌と朗読でつづる小さな命のものがたり

創作モノオペラ『尼の泣き水』〜海老名の伝説

  国分寺にまつわる尼と漁師の悲恋

A Mono Opera Production
「尼の泣き水」 Ama no Nakimizu
”The Well of the Nun’s Tears”
A Tragic Legend of “Kokubunji temple” from Ebina of Japanese Folklore


2幕11場  two acts and 11scenes

脚本・作曲・構成・独唱 甘利真美

Written, Composed, and Performed By   Ms. Mami Amari Soprano

     NHKニュース

<あらすじ>

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天野泣き水1天野泣き水1

奈良時代、天皇の詔により全国に国分寺が造られ、相模の国では海老名に造られました。
金堂 講堂 中門 南大門などの七堂伽藍 天を突くような七重の塔が、煌めいておりました。

天野泣き水2天野泣き水2

人々は、ひねもす仰ぎ見て讃嘆しておりました。国分寺には尼寺も造られました。

天野泣き水3天野泣き水3

相模川で網を打っている若い漁師がおりました。<br /><br /><br /><br /><br /><br />

天野泣き水4天野泣き水4

国分寺の若い尼さんが、ある日、川で漁師と出会います。

天野泣き水5天野泣き水5

美しい二人はたちまち恋に堕ちてします。

天野泣き水6天野泣き水6

毎夜、二人はケヤキの木の下で逢いました。

天野泣き水7天野泣き水7

天野泣き水8天野泣き水8

ところが、ある日、漁師から別れを告げられます。「あの七重の塔がまぶし過ぎて魚が寄りつかないのです。ここでは、もう漁を続けることができません。」
<br /><br /><br />

天野泣き水9天野泣き水9

尼は「あの塔さえなければ」と思うようになりました。<br /><br /><br /><br /><br /><br />

天野泣き水10天野泣き水10

ある日、国分寺から出火して、すっかり灰になってしまいました。
尼の仕業として捕らえられ、

天野泣き水11天野泣き水11

のこぎり轢きの極刑に処せられました。

天野泣き水12天野泣き水12

その跡地から清水が滾々と湧き出て、どんな日照りが来ても、その水は枯れる事がありませんでした。これを人々は『尼の泣き水』と呼ぶようになりました。

The story
 During the beginning of the Nara era, The Emperor ordered the nation to build temples named “Kokubunji” all over the country. Sagami Province built its Kokubunji in the town of Ebina. It was built with all the seven features any proper Buddhist temple required, such as the Kondo (the main hall, or “golden pavilion”), the Kodo (the lecture hall), the Chumon (the central gate), the Nandaimon (the great south gate), and a Nanaju no To, a seven-story pagoda built to pierce the heavens and which shone, brightly reflecting the light of the morning and evening sun. Whenever they saw it, people always praised this structure’s beauty as they looked up at it in awe.
 A nunnery was also built at Kokubunji. It was named Kokubu-niji.
 A young fisherman made his living casting his nets in the Sagami River. One day, the young fisherman and a nun from Kokubu-niji chanced to meet at the river, and instantly fell in love with each other. However, the fisherman caught no fish, and grew more haggard by the day. He told her that the light beaming onto the river’ s surface from the seven-story pagoda was driving the fish away. The nun began to think “if only the pagoda wasn’t there” out of concern for the livelihood she dreamt of sharing with the fisherman.
 One night, a fire broke out at Kokubunji, leaving nothing but mere ashes. The nun was caught for her evil deed, and was sentenced to death by burial in the earth up to her neck, where each of the townspeople took their turn sawing off her head. Later, at that very spot, pure water began to flow up from the depths of the earth, flowing unceasingly, and the local people began to call it “The Well of the Nun’s Tears”.

尼 甘利真美     漁師 南保大樹

<出演・Appearance>
 尼  ソプラノ(Soprano)1名   漁師・語り 俳優(Actor)1名
    ピアニスト(Pianist)1名


<上演時間・Time of production>  
 一幕(1act)  60分(minutes)   二幕(2act) 50分(minutes)


<舞台セット 及び 準備物・Set of the stage & preparations>
* ピアノ (Piano) 
影絵上映の為の照明設備(Lighting for shadow picture)&
  舞台照明 (Stage lighting)
* 草木セット(持参します)( We take with set of Plant)


This Opera is very portable!

 Ms. Mami Amari, a vocalist living in Ebina City, composed a mono opera based on this legend. In doing so, Ms. Amari has crafted a new form of opera by adopting the simple style of Noh in a fusion of Eastern and Western cultures.


 We will prepare an English translation for the entire program and the story


The Ebina Arts Project 海老名芸術プロジェクト
For more information, please call: +81-46-232-3194 (phone and fax)
E-mail amarifam@jcom.home.ne.jp

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歌芝居『初恋のアリラン』

〜戦火に咲いた一輪の恋

「おばあちゃんの初恋物語」中村登美枝 著 日本自分史学会 昭和の記録賞受賞作品

原作  中村登美枝「おばあちゃんの初恋物語」
脚本・作曲・構成・主演 甘利真美      


「おばあちゃんの初恋物語」日本自分史学会 昭和の記録賞受賞作品
左から 川上史子(ピアノ) 甘利真美(登美枝 役) 原作者 中村登美枝 南保大樹(青年将校 役)

<あらすじ>

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戦火に咲いた一輪の恋1戦火に咲いた一輪の恋1

北朝鮮最北端の町 慶興 登美枝は、青年将校と出会う。二人は両親の許可をもらい、犬のジョンを連れてスズランの丘を散策する。でも、一言も話さないまま帰って来てしまった。

戦火に咲いた一輪の恋2戦火に咲いた一輪の恋2

彼との結婚の日を待ちわびていた。そのような夏、1945年8月9日、突如、ソ連侵攻して来た。

戦火に咲いた一輪の恋3戦火に咲いた一輪の恋3

彼は登美枝さんの手を握り「生きて帰れよ」と告げて、戦地に向かう。
彼がシベリア抑留となった事を知る。
逃避行が始まる。お寺でロスケに犯されそうになる。寸での所で助かる。

戦火に咲いた一輪の恋4戦火に咲いた一輪の恋4

母親に次いで、父親も亡くなる。弟と二人きりとなった登美枝は、収容所の孤児達の世話を頼まれる。

戦火に咲いた一輪の恋5戦火に咲いた一輪の恋5

しかし、頼りにしていた隊長も夜逃げをしてしまい、残された登美枝は孤児達13人を連れて38度線を越える事を決心する。

戦火に咲いた一輪の恋6戦火に咲いた一輪の恋6

様々な困難を乗り越え、沢山の孤児達を拾いながら、無事に38度線を越える。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

戦火に咲いた一輪の恋7戦火に咲いた一輪の恋7

一方、彼はシベリアで過酷な労働に耐えていた。「生きて帰って登美ちゃんと結婚したい」の一念が彼を支えていた。<br /><br /><br /><br />

戦火に咲いた一輪の恋8戦火に咲いた一輪の恋8

心臓の手術をした登美枝は、両親の供養をしに北朝鮮へ渡る。スズランの丘は、そのままだった。
慶興の石を持って、彼に会いに行く決心をする。

戦火に咲いた一輪の恋9戦火に咲いた一輪の恋9

55年の月日が経っていたが、二人の心は変わることが無く、お互いに思い続けていたのだった。

『モンゴルの大地よ』

本人孤児 烏雲(ウユン)さんの人生

『大地の子』『大草原に還る日』のモデルとなった中国残留日本人孤児 烏雲さんの半生をバラードにしたコンサート

作詞・作曲 甘利真美



立花一家は、長男甫さんを日本に残し、満州(中国東北部)に移住する。立花珠美さんは、2才半だった。
1945年8月9日 旧ソ連軍が侵攻し、武器を持たない民間人が攻撃される。村を挙げて逃げる。
8月14日午前11時 葛根廟(ラマ教の寺院)の手前でソ連の攻撃に遭い、逃避行をする民間人を大虐殺した。世に残る『葛根廟事件』である。この惨事に遭いながら、一人生き残った珠美さん(当時7才)は、優しい中国人に拾われて、中国人として育つ。烏雲(うゆん)と名付けられる。賢いという意味である。貧しい中、養父母は自分達の食べ物も烏雲さんに与え、身を粉にして働き、烏雲さんを大学まで進学させた。そして、烏雲さんは、草原の教師となる。子供達に慕われて、貧しい子供にも教育を与え、我が子のように育てる。結婚もし、二人の子供に恵まれるが、文化大革命が起こり、養父母は敵国の子を育てた罪で糾弾される。それが基で養父は亡くなり、養母は右目を失う。
日中国交が回復し、烏雲さんのお兄さんが徳島に居ることが判り、日本に帰ってくる。しかし、育ててくれた中国の養母と、その大地に恩返しがしたいと中国に帰っていく。
日本人の開拓が原因で沙漠化した大地に、木を植えて緑の大地に蘇らせようと植林に取り組む。日本から大勢のボランティアが参加している。
憎しみを愛に変えていった人々の物語である。

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モンゴルの大地よ1
モンゴルの大地よ2
モンゴルの大地よ3
モンゴルの大地よ4
烏雲(ウユン)先生からのメッセージ

甘利真美先生 こんにちは
 貴方は私のこと及び沙漠植林ボランティア協会の内蒙古での活動のことを知り、これを作曲しリサイタルを行うそうですね。とても嬉しく存じます。
 中国は残留孤児の私に第二の生命を与え、社会に役立つ人間に育ててくれました。そして日本の方々からは両国の友好のためにつくす防沙植林ボランティアを通して限りない勇気を与えられました。
 中国と日本の国籍や民族を超えた人間愛に深く感謝をいたしますと共に、これからも更に努力を重ねて参ります。両国の人々は再び戦争を起こすまいと未来に向けて平和の発展のために成果を傾けてきました。
 この度のリサイタルは日中国交正常化30周年の記念すべき年に当たっており、大きな意義を持っていると思います。リサイタルが予期通りの成果を挙げられるように心からお祈り申し上げます。

烏雲(立花珠美)

リサイタル『モンゴルの大地よ』について

 1945年(昭和20年)8月9日旧ソ連軍が中国東北地区に侵攻し、武器を持たない民間人が攻撃され、惨劇のなかで当時、7才の少女(立花珠美さん)は瞬時にして大草原に一人投げ出され孤児になりました。想像を絶する状況の中を生き延びた少女を救ってくれたのは親切な中国の方々です。敵国の子供にも拘らず、貧しい生活の中で自分の子供以上の愛情を注ぎ、中国名で烏雲(ウユン)と名付け、大事に育てました。少女は養父母の恩愛に応えて勉学に励み、教師となり、モンゴルの子女の教育に献身しました。
 日中国交が正常化し、望郷の想いは募り、やっと、たった一人の肉親のお兄様と巡り会われました。
 しかし、自分を救ってくれたモンゴルで生きることを決意され、養母と教え子の待つモンゴルにお帰りになりました。
 この物語はノンフェクション テレビドラマ「大草原に還る日」として中国とNHKが制作して既に放映されております。
 中国残留孤児の悲劇は、戦後60年に及ぼうとする今も、私達に訴えかけております。このような痛ましい悲劇を二度と繰り返さないためには、私達は、その事実を語り継ぎ、平和の大切さを伝えて行く責任があります。歌曲『モンゴルの大地よ』は、この物語をモンゴル調に美しく綴られております。
 烏雲先生は、砂漠化したモンゴルの大地を豊かにしようと今、植林に取り組んでおられます。一方、烏雲先生の出身地である徳島の人々を中心に、モンゴルの砂漠に植林ボランティアの会の烏雲の森活動が展開されております。「烏雲の森に」はその活動を歌っています。植林が進み、烏雲の森が息づき、大地の栄えを願って「大地よ よみがえれ」が歌われます。作曲者自身のソプラノでお聞きください。

代表 落合 環

歌曲『モンゴルの大地よ』を作曲して

 町田市に在住の遠山様ご夫妻が『モンゴルの砂漠に植林ボランティアの会』に賛同され、モンゴルに植林に赴かれました。そして、その体験をお聞かせいただきました。80才を越されての植林ボランティア活動でした。『モンゴルの砂漠に植林ボランティアの会』の活動記録も拝見し、中国残留日本人孤児、立花珠美さんこと、烏雲(ウユン)先生の人生を綴った手記も読ませていただきました。
 少女を救ってくれた中国の人々のやさしさに深く心を打たれました。そのために迫害を受けてもいの命がけで耐えて守ってくれました。心から感謝と敬意を表します。
 遠山様のご希望で烏雲先生の人生の物語を『モンゴルの大地よ』と題して、作詞、作曲いたしました。言い知れぬ感動の中で烏雲先生のひととなりを思い、平和を願い、この歌をバラード風に構成いたしました。モンゴルの調べをとり入れて作曲しております。更に「烏雲の森に」「大地よ よみがえれ」を作詞、作曲いたしました。
 砂漠化は温暖化を招き、温暖化は砂漠化を招きます。黄砂が我が国にも舞って来ております。友好の輪が広がり、植林が進み、烏雲の森が育ち、大地が蘇っていくことを祈ります。
 どうか、多くの方々に聴いていただきたいと切望いたします。私の受けた感動を出来る限り伝えたいと念願いたします。

甘利真美

『増田昭一氏 著』満州体験 三部作

『満州の星くずと散った子供たちの遺書』『約束』『戦場のサブちゃんとゴン』舞台化
(夢工房 刊)


『生き残った者が、必ず僕たちのことを伝える』という約束を一人生き残った増田昭一 氏が果たした
天から語られる孤児たちの願いと想い、後世に伝えたい、知られざる戦争の真実 
人間としての『生き方』を問う

満州の星くずと散った子供たち満州の星くずと散った子供たち
満州の星くずと散った子供たちの遺書
約束約束
約束
戦場のサブちゃんとゴン戦場のサブちゃんとゴン
戦場のサブちゃんとゴン




著者 増田昭一 氏
著者 増田昭一 氏

昭和3年4月12日 神奈川県小田原に生まれる。
昭和20年3月 県立小田原中学校卒業後、大学入試の為に、父(満州第2634野戦兵廠部隊長)母・姉のいる満州に渡る。
牡丹江省愛河にて、戦闘『磨刀石の戦い』に巻き込まれる。一命を取り留め、先に戦乱を逃れた母とハルピンで再開する。その後、9月下旬、新京敷島地区難民収容所に入る。11月初旬、母と共に発疹チフスにかかり、母は死亡。自身は体力回復せず、生死をさまよう。孤児の仲間と互いに助け合い、生きるために努力する。
2月下旬、新京敷島地区電線病院に勤務。6月中共軍と国府軍の内戦により失職。その後、あらゆる仕事を経験する。
昭和21年12月中旬に帰国。父は3年間シベリア抑留の後、帰国。4年後に死亡する。
昭和22年4月教員になり、60年退職。
満州の収容所での体験を執筆

中国残留日歌と朗読でつづる小さな命のものがたり

『満州の星くずと散った子供たち』

     神奈川テレビ

 
 
『満州の星くずと散った子供たちの遺書』より
 
<あらすじ>
 
『けんちゃん』
軍国少年だった けんちゃんは、8月9日の突然のソ連軍の侵攻に遭い、お父さん、お母さん、そして妹を殺されてしまいます。一人で逃避行をするうちに、ある開拓団と出会い、その開拓団に入れてもらいます。ある村の大きな家の作業所である土間に泊めてもらうことになりました。その夜、関東大震災で日本人に親を殺された朝鮮人の青年達が復讐に現れ、日本人を4人殺そうとした、その瞬間、けんちゃんが「僕を殺してよ」と身代わりに願い出ます。「憎しみの連鎖を絶とう」という強いメッセージ
 
『一杯のラーメン』
落語が上手な たっちゃんが、腎臓が弱い為に、どんどん弱っていきます。親友のさんちゃんが一生懸命に看病し、身の廻りの世話をするのですが、たっちゃんは衰弱していきます。食べられなくなった たっちゃんが「ラーメンが食べたい」と言うのを聞いて、さんちゃんは、一つしかない靴下をラーメンに換えに行くのですが。
 
『金のひしゃく』
金のひしゃく
多くの難民達は寒さと食料不足で病気となり、60パーセントの人々が亡くなっていきました。見かねた新京敷島地区の日本人会の有志の人達が月2回のおかゆの炊き出しをしてくれることになりました。
こうちゃん、よっちゃん、よしぼう、しんちゃん の4人は仲良しでした。4人は助け合って生きていました。おかゆを炊き出してくれる優しいおじさんに、お礼に何かプレゼントをしようと話し合います。そして、4人の考え付いたプレゼントとは。
増田昭一氏 自ら絵を描き、絵本にもなった感動の実話
 
     NHKテレビ
 

歌曲『僕が生まれ変わったら』
豐君は小学校5年生です。小さい時に小児まひに罹り、右足が不自由でした。でも、死んだお母さんの言いつけを良く守り、収容所でも一生懸命に勉強していました。そんなある夜、「水をください。末期の水を」という子供の声を聞いて、「僕が汲んで来てあげる」と外の井戸に水を汲みに出掛けていきました。外は、マイナス20度、満点の星でした。中国の井戸には柵がありません。もともと不自由だった足を凍てついた大地に滑らせて、井戸の中に落ちてしまいました。皆の飲み水を汚してはいけないと必死になって這い上がりました。しかし、翌朝、豊君の汲んだ水も凍てついておりました。
生前、増田青年と豊君は約束を交わしていました。それは、腰に付けた赤い巾着袋を島根のおばあちゃんに届ける、という約束でした。増田青年が巾着袋を開けてみると、島根のおばあちゃんに宛てた手紙と一篇の詩『僕が生まれ変わったら』が入っておりました。豐君の詩を歌曲にいたしました。

 
歌曲『正君の辞世の歌』
いまか いま 日本に帰る日を待ちて 命つきはて死ぬるぞ口惜し     正
   昭和20年10月20日


歌曲『星達の煌めき』(作詩・甘利真美)
満州の星達は、天から平和を祈り、今夜も光り輝いています。もう二度と、このような悲劇を生み出さないようにと。

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歌曲『星達の煌めき』
歌曲『星達の煌めき』
歌曲『星達の煌めき』
満州の星くずと散った子供たちの遺書

歌と朗読でつづる小さな命のものがたり

『約束』

『約束 満州の孤児たちの生命の輝き』より


自らの命の日が絶えるその日まで、孤児たちは仲間との約束を果たそうと懸命に生きぬいた。旧満州から生きて帰れることができなかった孤児たちの心の叫び


<あらすじ>


『約束』
満州の収容所では、飢えと寒さの為に病気となり、次々と人が亡くなっていきます。孤児達は、自分達は、どうして、こんな辛い目に遭わなければ行けないのかと疑問に感じます。そして、死を身近に感じた孤児達は、死後の世界についても話し合います。そして、議論を重ねて出した結論は、『生きるということは、人々の心に残ること』と考えて、『人々の心に生き続けよう』と決意します。その為には『人を感動させよう』人を感動させる為には『人に尽くそう』と決心し合い、行動を起こすことを誓います。死を目前にして、『最後まで人間として素晴らしい生き方をしよう』『生きていた証しを残そう』と決心し、生きます。おじいさんが残した『愛情と思いやり、優しさと分かち合い』の精神を全うするのですが。


『きれいになった空き缶』
高山君が収容所に着いた時は、既に体が衰弱していて何もお手伝いできない状態でした。人の為に出来ることはないかと考えた高山君は、皆の空き缶を磨くことを思い付いたのです。マイナス20度という過酷な環境の中、空き缶をピカピカに磨きあげるのですが。


『すきま風を塞いだ佐多君』
佐多君は生きられる日数を計算し、自分の全ての持ち物や衣類をちぎって窓の隙間を塞ぎ、すきま風が入らなくなった日に何も身に着けずに死んでいった。

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約束1
約束2
約束3
約束4

 歌ものがたり『戦場のサブちゃんとゴン』

旧題『少年サブちゃんと名犬ゴン』

オペラとダンスと朗読の融合劇   脚本・作曲・構成・主演 甘利真美

<あらすじ>

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戦場のサブちゃんとゴン1戦場のサブちゃんとゴン1

サブちゃんは、お父さんとお母さん、そして愛犬のゴンと共に仲良く幸せに暮らしていました。
お父さんに赤紙が来て、南の海で戦死、お母さんは悪性の結核に罹ってしまいます。

戦場のサブちゃんとゴン2戦場のサブちゃんとゴン2

8月9日ソ連が攻め入って来ました。暴動の最中、お母さんは匪族に殺されます。
サブちゃんは、ゴンを置いて、兵隊さん達に付いて行き、磨刀石に着きました。

戦場のサブちゃんとゴン3戦場のサブちゃんとゴン3

8月13日の夜、明日の突撃を前に最後の宴会が開かれました。<br /><br /><br /><br />

戦場のサブちゃんとゴン4戦場のサブちゃんとゴン4

兵隊さん達が芸を披露し、最後にサブちゃんが『ふるさと』と歌います。その歌に泣き崩れる兵士達は、突撃の合図を『ふるさと』に決めます。

戦場のサブちゃんとゴン5戦場のサブちゃんとゴン5

サブちゃんは兵隊さん達のタコツボに行き、それぞれの人生を語って聞かせてもらいました。

戦場のサブちゃんとゴン6戦場のサブちゃんとゴン6

8月14日未明、ソ連の戦車が現れました。兵隊さん達は爆弾を胸に『ふるさと』を叫んで、ソ連の戦車に体当たりしました。『磨刀石の戦い』<br /><br />

戦場のサブちゃんとゴン7戦場のサブちゃんとゴン7

日本軍は全滅しました。

戦場のサブちゃんとゴン8戦場のサブちゃんとゴン8

サブちゃんは逃げ遅れて気絶している所を、ゴンに助けてもらいました。

戦場のサブちゃんとゴン9戦場のサブちゃんとゴン9

逃避行の最中、敗戦を知ります。サブちゃんは収容所に入りますが、ゴンと引き離されてしまいます。

戦場のサブちゃんとゴン10戦場のサブちゃんとゴン10

収容所を出て一人で逃避行するサブちゃんは、川岸でゴンと奇跡の再会をします。

戦場のサブちゃんとゴン11戦場のサブちゃんとゴン11

それもつかの間、小舟にサブちゃんが乗った瞬間、ゴンは、川に飛び込み、川の勢いに流されて行きます。

戦場のサブちゃんとゴン12戦場のサブちゃんとゴン12

ハルピンの収容所で順子お姉さんと出会い、ほのかな想いを抱きます。しかし、ロシア兵に犯された順子さんは、首を吊って自殺してしまいます。

戦場のサブちゃんとゴン13戦場のサブちゃんとゴン13

失意のサブちゃんは、ハルピンから新京に向かいます。新京敷島地区難民収容所に辿り着き、増田少年と出会います。そこへ、ゴンが尋ねて来ました。生きていたのです!しかし、サブちゃんは、力尽きて死んでしまいます。

戦場のサブちゃんとゴン14戦場のサブちゃんとゴン14

ゴンは、共同墓地からサブちゃんを引っ張り出すのですが、ゴンも力尽き、星となってしまいます。
天国で大好きなサブちゃんと再会します。

戦場のサブちゃんとゴン15戦場のサブちゃんとゴン15

カーテンコール (中央)増田昭一 氏